代表挨拶

当たり前のことを「本気」でやる。
それが有限会社可児設備です。

父の背中が私の道筋


2002年9月初代社長の父が亡くなりました。 肺癌でした。2001年5月に病気が分かり、 医師から後2、3ヶ月の命だと宣告されました。しかし父はそれから1年4ヶ月ほど生きました。 それは私に仕事を教えたかったからです。 父は何の趣味のなく仕事一筋の人でした。 いつか私に仕事を継がせたいと思い仕事だけをしてきた人です。私はそんな父の背中を見て育ちました。

父との約束


初めは本当に辛かったです。「社長が亡くなってもうだめだね」と言って離れていく建築屋さんもいました。 今に見とけよ、私は仕事に打ち込みました。 父は死ぬ直前まで「修司、すぐに良くなるからそれまで会社とお母さんを頼むぞ」と言って死んでいきました。 ですから私は決して弱音は吐けません。

オンリーワンではなくベストワン


父の残してくれた従業員と共にこの厳しい時代と戦っております。 可児設備はナンバーワンの会社でもオンリーワンの会社でもありません。常にお客様に選ばれるベストワンの会社です。


当たり前にやる会社です。
ただし本気でやります。
心は形になり、形は心になります。

水道でお困りの際は一度御電話ください。できる限り迅速に駆けつけます。

2002年9月父の急病により会社を引き継ぐ。その頃は父の信用で会社が成り立っていたので、仕事はない、社員とはうまく行かない、母はうつ病になると何もかもが上手くいかなかった。

そんな中、岐阜県中小企業同友会、PAL研究会、ランチェスター経営実践会等で熱心に勉強し、すぐに実行を繰り返す。 2008年11月100年に1度の不景気の為、2割以上の売上げを上げていたハウスメーカーが地元可児市から撤退。しかしすぐにエンドユーザーに営業に仕掛け、片道30分以上かかる仕事をすべて断り超地域密着戦略を行う。

現在ポスティング月2万5千枚、手書きの手紙月100枚、ニュースレター月650枚、OB客訪問月100件以上を行い、売り上げはほぼ同じながら元受率90%以上の水道屋になる。

社員数10倍の会社をやぶり、現在可児市水道設備業トイレ改装工事ナンバー1の会社。

また仕事以外にもオペラ歌手としても活動。地元で解説付きの分かりやすいオペラ公演オペラレクチャーコンサート年2回ほど行う。

主催団体である可児オペラグルッポ代表。 今までの主な演奏会は第1回岐阜県物産展ふれあい春祭りオペラ椿姫、ケーブルテレビ可児新社屋グランドオープン祝賀パーティー、日本昭和村オペラコンサート、(株)ギアリンクス株主総会懇親パーティー等幅広い活動を行う。

声楽を井原義則、加賀誠二、サックスを岡田知奈美、坂井由紀の各氏に師事。

2008年尾東音楽コンクール声楽部門奨励賞受賞。 損保ジャパン主催の異業種交流会おりべビジネスネット中濃支部代表世話人(全国最年少)。 2009年6月小学校のバスケットボールチームの活躍を描いた小説「がんばれ!!ザリガニーズ」

可児市でがんばっている人を応援するネット放送局かにんちゅう(可児人)TV、可児市周辺のおいしいお店を紹介するサイトかにんちゅう(可児人)グルメ主催。

有限会社可児設備代表取締役
可児修司

1974年生まれ
岐阜県立加茂高等学校卒
名城大学理工学部土木科卒

取得資格


建築士、宅地建物取引士、外壁診断士、給水装置工事主任技術者、排水設備責任技術者、土木施工管理技士、管工事施工管理技士、配管技能士、測量士補、建設業経理事務士、DSJ2つ星技能検定認定、ドローン操縦士協会回転翼、ファイナンシャルプランナー