【㈲可児設備 社長の週末日記vol150】浅野撚糸②
浅野撚糸②
逆境を越えて、福島に希望の光を――浅野撚糸・浅野社長の挑戦
前回に続いて、浅野撚糸さんの話です。
苦労人として知られる浅野撚糸の浅野社長。
その人生は決して平坦ではなかったが、彼の情熱は、いつも“誰かのため”に向けられていました。
母校・福島大学教育学部で学んだ日々。
そこで育まれた福島への深い想いは、やがて「恩返し」という強い動機となって動き出します。
浅野社長が復興支援の地に選んだのは、原発事故で壊滅的な被害を受けた福島県双葉町。
かつて7,000人が暮らしていた町は、震災後11年間、人口ゼロとなった場所です。
2023年、浅野社長はその町に、30億円を投じて新たな工場を立ち上げました。
「ここに雇用を生み、町に再び希望を取り戻したい」そんな熱い想いから始まった挑戦。
しかし、現実は想像を超える苦しみでした。
新型コロナウイルスの影響で、冠婚葬祭が激減し、主力のタオルの売上は大幅に落ち込みます。
さらに、期待された住民の帰還も予想を大きく下回り、戻ってきたのは30人ほどの高齢者だけでした。
浅野社長が目指した「雇用の創出」は、空しくも宙に浮いてしまいます。
多額の借金を抱え、夜な夜な歯ぎしりしながら眠れぬ日々。
奥歯がすべて抜けてしまうほどのストレス――それは、浅野社長にとって「人生で最も苦しい3年間」でした。
時には「なぜここまでしたのか」と自分を責め、後悔の念すら芽生えていたといいます。
しかし、そんな浅野社長の心を揺さぶる出来事が起きました。
それは、福島県内の高校生たちが工場見学に訪れた時のこと。
対応したのは、新入社員の若い女性。
その高校生の一人が、彼女に問いかけました。
「復興とは、あなたにとって何ですか?」
彼女は一瞬考え、そして静かにこう答えました。
「復興とは、私がここにいることです」
その言葉に、浅野社長は涙が止まりませんでした。
自らの思いが、確かに若者に受け継がれていた――その事実に、経営者としての自分を恥じ、そして再び立ち上がる覚悟を決めたのです。
「双葉町から撚糸やタオルを世界に届ける。ここに働く場所があるということ、普通の生活が戻っているということを、世界にアピールしていきたい」
逆境に屈せず、何度でも立ち上がる熱血社長。
彼の挑戦は、まるで一篇のドラマのように、静かに、しかし力強く私たちの心を打ちます。
未来を信じ、希望を糸を紡ぐその姿は、まさに「復興」の象徴そのものです。
それでは来週も、皆さまが笑顔で健康に過ごせますように。
可児修司
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