強運経営者塾 和歌山 紀州 徳川家ゆかりの地を訪ね日本の平和を考える②

2017.06.19.01

二日目の朝はホテルから歩いて和歌山城天守閣へ。

 

2017.06.19.02

天守閣から見た和歌山の町。

 

 

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その後、徳川御三家の一つ紀州東照宮へ。

 

 

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煩悩の数、108段の階段を上らなくてはいけません。

 

 

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日光東照宮と比べれば小さいですが、紀州東照宮を拝観しました。

 

 

2017.06.19.06

お昼は和歌山マリーナシティ荒磯でおいしいマグロをいただきました。

 

 

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マグロ丼にして食べると最高です!

 

 

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マグロの解体ショーも見てきました。

 

 

今回の旅行を終えて

どうして御三家は水戸と尾張とそして紀州なのか?特に交通の便の悪い和歌山になぜ紀州徳川家を作ったのか?
紀州徳川家の家祖は家康の十男頼宣ですが、頼宣は二歳で水戸藩十万石を与えられるほと家康のお気に入り。水戸藩に入らず家康に育てられたそうです。そして家康亡き後駿府城に入ります。
二代目将軍秀忠は自分の息子に駿府城を与えたいのですが、頼宣は大阪城を希望します。しかし大阪城は幕府直轄なのでとても無理。そのかわり近くの紀州に移されだと思われます。
西の守りは陸の要が大阪城、海の要は和歌山城。高速道路が発達した今と違い海路はとても重要だったと思われます。
もう1つ幕府の威厳を保つため、たとえ徳川一門の頼宣といえども将軍の家臣としてあつかうためだとも思われます。

 

 

 

 

 

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