心経塾でした。

今夜はNPO法人起業家支援ネットのセミナー、心経塾でした。

澤先生に年末に行ってきたニューヨーク(記事①記事②記事③記事④)についてスピーチをしてほしいと頼まれたのでがんばってきました。

話は変わりますが、ちょっと前に先生に頂いたお話を載せます。

元三洋電機株副社長 後藤清一さんが著書で書かれていたエピソードです。

「思いやる心」

同情と思いやりとは、似て非なるものやと私は思いますな。

が、思いやりというのは、相手の全体を見て、”この人にはどうしてあげたら一番喜んでもらえるか”ということを思いやることといえようか。

だから、思いやりは、相手の心を推し測ってやっていかなければならない。こちらの都合に、ではなく、相手の都合に合わせなくてはいけない。そういうものだと思う。

ただ、同情が、思いやりへの扉を開くということはある。

私自身のことを振り返ってみても、最初は”気の毒な障害者のために何かをやってあげなければ”といった同情に始まり、やがて”そのためには、どうしてあげることが一番喜ばれるか”と考えるようになった。つまり、同情に始まって思いやりへの扉を開けていったわけである。

こうして昭和35年にできたのが、障害者が働くための三恵製作所という福祉工場なのである。

とはいえ、これとて私が発案したのではない。牧師さんとお坊さんに「障害者に何か仕事をさせたやってもらえませんか」と頼まれたのが発端であった。折りしも”障害者の為に何かやってあげなければ”と同情を抱いていたところであった私は、その以来を契機に思いやりへの扉を開くことになったわけだ。

話が決まるとすぐに行動に移すのが私の性癖である。当社が機械や材料を提供し、仕事をしたいという障害者に仕事を教えた。

この工場は今も続いている。

さて、

この工場を運営し始めたころのことだ。ある日の夜、工場に併設された私の家の戸を叩く音がする。人間が叩くのだったら、戸の真中か、真中より上のはず。下のほうをドンドンと叩いている。時計を見ると11時頃。こんな夜ふけに・・・・気味が悪い、と家内は言う。いや、犬がいたずらしてるんやろ。

戸を開いてみて驚いた。一人の男が這いつくばっている。全身汗まみれ、泥まみれ。小児マヒかなにかを病んだらしい不自由な体。三恵製作所で働いている男だ。何はさておき、その男を家にかつぎ入れる。彼は、何かをしきりに訴えるのだが、よく聞きとれない。ようやくのことで分かったのは、ざっと次のようなことでした。

「自分は、こういう不自由な体なので、家では土間にムシロを敷き、その上で食事をし、寝起きをしていた。が、福祉工場で働いて何がしかの収入を得られるようになったことで、家の畳の上で食事ができて、蒲団の中で寝られるようになった。そのことについて、ひと言お礼が言いたくて訪ねて来た。」

そうやったのか!

その男の家から私の家まで、おそらく車で数分の距離だ。彼は、勤務を終えて自宅に帰ってから、膝行し、這い、全身汗と泥にまみれながら、おそらく何時間もかけて、私を訪ねに来てくれたのだ。”ひと言お礼が言いたい”と言うそれだけの理由で・・・・。こうまでして礼を言いたいというほどに、この人達にとっては、働き場所があるということは、嬉しいことなのや。

「わかった、わかったぞ、ありがとう!!」

私は涙しながら、その男に叫んだ。男を入浴させ、汗と泥にまみれた下着から上着まで一切を着替えさせると、寮生に言いつけ、車でその男を自宅まで送らせたのである。

俺達のささやかな努力で、障害を持った人達は、これほどに喜んでくれる。

俺達は少しはええことしたのやなぁ・・・・。

私は初めてそう実感し、以後今日まで、障害を持った皆さんの力に少しでもなろうと、非力ながらいろいろなことをやらせてもらってきたのである。

後藤清一さんについて松下幸之助さんがこういうエピソードを残しています。
 

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